令和5年度・連合会活動報告 (令和6年2/27更新)

令和5年度・高知市久重地域連携協議会研修報告(2024年2/28掲示)

 

令和6年2月17日、まず今回の主目的である高知市久重地域の連携協議会へ、奈良を朝出て13時半に高知市街地の北、ひと山越えた、久重(きゅうじゅう)地域に到着。会場となる久重小学校の部屋に入ると、林会長や出迎えていただいた永野事務局長ら20人ほどの人がいて、子どもたちも4人いて驚いた。各席には多くの資料が用意されていた。双方の会長あいさつの後、久重地域連携協議会の説明を武林理事が行われ、後半は子供達が自らの活動を紹介。久重地域は標高300mで市街地より気温は3度低く、約500世帯、1000人が暮らしている。連携協議会は8年前に設立し、「豊かな里山 次代へつなげ!」をスローガンに、市の事業を積極的に受けて活動してきた。PTA等も取り込み、子どもたちの活動もユースとして立ち上げてきた。コロナ禍ではイベントなどは行えなかったが、オレンジポストの設置、祭りのハッピやHPの作成とソフトに力を入れ、むしろ充実していたという林会長の言葉が印象に残った。質疑の後は連携協議会役員会を傍聴させていただき、各部会からの報告では子供達も普通に物おじせず慣れた様子で報告していた。その後来年度の行事の日程を決めて予定の15時半終了。帰りにおみやげとして地域で作られた文旦をいただいた。(尚、会議の様子を撮影した写真のHP掲載のご許可を連携協議会よりいただいております。)

令和6年2月18日、二日目は朝から金毘羅宮に参拝。希望者で6時半すぎ宿を出発し、表参道から階段を合計785段登って、だいぶバテた方もいましたが、なんとか皆で本宮にたどり着いた。帰りはいくつもある脇道のひとつを下り、宿の裏手に8時過ぎに着いて朝食をとる。なかなか朝飯前とは言えない参拝だった。

 

 

 

 午後からは陶板名画を展示している大塚国際美術館へ。陶板名画とは、鳴門の白い砂を材料に信楽焼の陶磁器技術とデジタル技術を駆使して原寸大で複製されたもので、1000点超の名画が展示されている。この陶板技術は、法隆寺の消失した壁画や高松塚古墳、キトラ古墳の壁画の復元画として橿原考古学研究所付属博物館に展示されている。まず、ボランティアガイドツアーに参加し、実物大に3次元で再現した環境展示のシステイーナ礼拝堂の説明から、ローマ帝国時代の、貴族の館にあった床のモザイク絵、ダビンチの最後の晩餐は修復前と後の両方が、モネの大睡蓮は本人の希望であった野外に展示されていた。約40分のツアー後は自由に見て回り陶板名画を堪能した。


令和6年・新年各種団体合同懇親会開催(令和6年1/29)

令和6年1月28日に佐保川地区各種団体懇親会が17:00から奈良ロイヤルホテルにて開催されました。佐保川地区連合会金野会長の主催代表挨拶の後、主賓代表の越尾佐保川小学校校長先生のご挨拶を賜り、各自治会内で日頃密接にお世話になってます民生児童委員の方々のご紹介があった後、日赤廣藤会長の乾杯の音頭で懇親会がスタート致しました。各団体の代表の方達とひと時の情報交換やお互いの活動に対し、感謝の意を表し、和やかに酌み交わし、楽しい時間が過ぎて行きました。


令和4年度・連合会活動報告 (令和5年2/20更新)

令和4年度・連合会県外研修旅行の実施(令和5年2月18日・19日)

毎年実施しておりました研修旅行、コロナ感染症の為、中止余儀なくされておりましたが今年久方ぶりに実施されました。

奈良から一路福井県を目指し、最初の研修場の年縞博物館に到着、途中バスの中にて武内副会長から年縞博物館の展示7万年分45mの年縞の説明を頂いた事の現物を見学致しました。歴史の「ものさし」の目盛りとして、過去7万年間に人類が経験したできごとがたどれ、その年代の模様が推定され世界標準の年縞となっております。

🔶年縞博物館ホームページ

次に向かったのは関西電力美浜原子力PRセンターです。ここでは原子力発電所の施設の説明をVR体験、実際に原子力発電所の中枢に入り込んだような詳しい説明をして頂きました。昨今東北地震福島での事故以来原子力発電所に対しての注目関心を浴びる結果となって安全面が注視されており、この美浜原発においても一層の安全な運用に努められている事がわかりました。又、万が一事故が起こった時のシュミレーションができている事もわかりました。

🔶美浜原子力発電所ホームページ

次に、奈良二月堂お水取りにゆかりの水送りの「鵜の瀬」にまいりました。この地は東大寺初代別当「良弁(ろうべん)僧正」誕生の地でもあります。大和路に春を告げる神事「東大寺二月堂のお水取り」でありその神約を護り伝える行事が若狭小浜の「お水送り」なのです。

翌日には福井県の建造物で唯一の国宝がある「明通寺(みょうつうじ)」は、この松永地区の奥にあたる幽谷と呼ぶにふさわしい深い山間に建っています。明通寺は、大同元年(806年)の平安時代初期に征夷大将軍である坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東北地方へ蝦夷(えみし)と戦うために遠征した際に、長年多くの蝦夷たちの浮かばれない魂を弔いたいと願って創建されたと伝えられています。

🔶明通寺ホームページ

次に最終研修見学場所舞鶴引揚記念館へと向かいました。

昭和20年(1945)8月9日、ソ連が満洲や南樺太へ侵攻しました。満洲等にいた多くの日本人が犠牲になりました。終戦後、およそ60万人以上といわれる日本の軍人・軍属がソ連へ強制連行され、多くの日本の民間人は帰国のため、荷物を背負い、幼子を抱いて港へ向かいました。

戦争の悲惨さをまざまざと学ばせるに十分な施設でした。今も愚かにも世界の何処かで人間はその道を辿っており悲しい限りであります。我が町・地域ではその心を受継ぎ平和に笑顔が絶えない街づくり目指して行きたいと思います。今回の研修は沢山の考えさせられるものとなり参加者一同今後に何かしらの役に立てたいと思います。

 🔶舞鶴引揚記念館ホームページ